ふと思ったこと。

最近のバラエティ番組でよくやっているものと言えば大喜利でしょうか。
あるお題に対して芸人が即興で答えを出して笑いを誘う芸。まぁ『笑点』にて名だたる真打がやっているのを見ているのであまり口に出すものではありませんが(しかしあの番組をみると少々気が滅入るのは明日が仕事という意識があるのか)結構良く見かける気が…
あるお題に対して即座に答える、何とも脳の回転が良くなければ、更に内輪ネタなんか出してしまうと全く面白くないことにもなってしまう、そう考えれば簡単なようでかなり難しいと思われる技術。好きなんですね、この種類の笑い。
漫才のようにお題がネタのツッコミであり、ボケである答えがオチとなる形。漫才のように流れの一つ一つのボケるのではなく、ただ一つのボケ(オチ)に集中する形。
そう考えるとあの「大喜利」を問題を最初から教えてもらっているのではないの、なんて考えてみる疑いを持ってみたくもなる訳(本当に教えてもらってないのでしょうけど)。
会話なんてものはこの大喜利的要素が沢山詰まっていると考えてみたりする訳で。仮に○○に対しての会話に対して、流れから落とし処が結構決まっていると思っていません?ただ、周りそして言いだした人に対してもいつ今までと違う答え(ボケ)を出してくれるかと思っていたりしていると思いますよ。だってワンパターンは何時かは…ねぇ(そこは一発屋的イメージが重なったり)。
会話としてボケるよりツッコミと良く言われる私からの独り言でした。